周りを見渡しても、どこにいるかさえわからない。四方八方視界すべてが真っ黒に塗り潰された場所。

 ああ、夢か

 真っ暗闇の中に一人ぽつんと立っていたエストは、ぼんやりそんなことを思う。
 闇は、嫌いじゃない。
 静まり返った夜の闇の中は、昼の明るさより余程落ち着く。
 けれど、この闇は――少し、違う気がした。

 ………

 闇の間を縫うように、微かな声が聞こえた。
 それは言葉ではなくただの音としか認識されず、エストの意識を通り過ぎる。
 しかし、音はやがて大きく、はっきりと聞こえるようになった。

 エスト

 はっきりと、自身が呼ばれているのだと知る。
 誰だろう、と周りを見渡すが、視界には相変わらずの闇が広がるばかり。
 と、不意に視界の端に動くものを見つける。エストは反射的にソレを追いかけた。
 通り過ぎる、人。
 その横顔に見覚えがあるような気がしたが、思い出す前にその人は闇の中に溶けて消えてしまった。
 そうしてまた、視界の隅に人の気配。
 先程と同じように、見覚えのあるような、誰とも知れない人がエストに構う事なく闇に溶けて行く。

 そして三度。

 またかと思いながら、エストはその気配のするほうに首を巡らせる。

 次は、すぐに誰だかわかった。
 目立つピンク色の髪を揺らして、彼女もまた、エストの目の前を通り過ぎる。
 「ルル…?」
 咄嗟に口をついた呼び声に、ルルは立ち止まり、振り返る。
 目が合って、けれどルルは小首を傾げると踵を返してまた歩き出してしまう。

 「ルル!」

 今度は、振り返りもしない。
 じわりと周りの闇に、溶けて行く。
 「聞こえないんですか、ルル!」
 咄嗟に声を荒げて手を伸ばす。

 伸ばした指先から、黒から白に世界が変わる。
 眩しさに目を手で庇いながら、エストはさらに手を伸ばした。
 白くそまった闇に溶ける彼女を、その手で捕まえなければならない気がして。

 「ルル…っ!」


 叫んだ声と、伸ばした手が、闇を裂いた。





 見上げれば、穏やかな夕焼け空があって、少しホッとする。
 「エスト!」
 湖のほとりに腰を下ろしていたエストは、びくりと肩を竦めた。今、一番会いたくない人の声。
 せっかく避け通したのに、と小さく息をつく。
 「エスト…っ、捜したんだから…!」
 「何か、御用でしたか?」
 諦めて振り返れば、息を乱したルルが非難がましく眉をしかめていた。
 「用はないけど、今日は一日エストに会ってなかったわ」
 「では、今、会えたんですからいいでしょう」
 「……エスト、何か…あったの?」
 エストはぱちりと瞬く。
 冷たく突き放す口調でもなく、いつも通りに対応したつもりだった。
 ルルは心配そうに瞳を揺らしている。

 真っ直ぐに、エストを見て。


 「ルル」
 「なぁに?」
 「手を、出してくれませんか」
 突然のことだったからか、ルルは小首を傾げて不思議そうにエストを見返したが、エストと視線を合わせるように屈んで言われたとおりに右手を差し出す。
 エストはその手を、そっと握った。

 じわりと熱が伝わってくる。

 エストは長い息をついて、口を開いた。
 「夢見が、悪かったんです」
 「ゆめ…?」
 「えぇ。それで…確かめるのが、――躊躇われて」
 今考えれば、夢の意味がわかる。

 初めに出てきた人達は、恐らく実の両親だ。記憶が曖昧だから、その姿にも見覚えがあるくらいにしか思えなかった。
 そんな人達が、自分を省みる事なく素通りする夢。
 そして、後に現れたルルも、同じように素通りして。


 そんな夢と同じように、ルルが消えてしまったら、という恐怖があった。
 「意外と、依存していたんですね…」


 ルルが離れて行くことを、何より恐怖している自分に気づいてしまった。


 「よく、わからないわ…」

 エストが言うことを理解しようとしていたらしいルルは、空いていた手で眉間を押さえて呟く。
 そんな姿に、エストを小さく笑った。
 「わからなくてもいいですよ」
 そのかわり、とエストはルルの手を握る力を強くする。




 そのかわり、何があっても、ずっと傍に。



世界の中核

僕の世界は貴女が在って初めて存在できている