久しぶりの感覚だな、と思う。
 ずぶりと肉に突き刺さる感触が、ナイフを通じて伝わる。人知れず、というならこの方法はあまりよろしくない。だが自分が何をしているか正確に、脳内に、身体に、神経に、知らせてくれるのは直接手を下すことだ。
 薬やら飛び道具やらが普段使う手段だけれど、今回は殺しているという実感を得たかった。

 「でも…慣れないことはするものじゃない、か」

 血濡れてしまった自身の手をみる。暗殺者として、返り血を浴びるのはたいした実力がないと言っているも同然。まあ手袋はしているから、この手袋さえ燃やせば、血の跡なんて残らないわけだが。
 得物の血を丁寧に拭い、周囲を見渡す。血飛沫が飛んだ跡もとくにない。先程、何かの気配を感じが、殺意がなかったので放って置いた。
 しかし、今は追っ手や見物客らしき気配もない。事実いたとしても、この暗い路地に月明かりさえ差さない闇夜で、黒づくめの顔などわからないだろう。
 骸をそのままに、路地を後にする。帰ってギルドへの報告と学生に戻る準備をしないと。

 「アルバロ…」

 細い道をいくつか抜けた時、自分を呼ぶ声が聞こえて足を止めた。
 「珍しいところで会ったね?門限がどうのって、俺に言えないじゃない」
 にこりとわざとらしいほどに笑みを浮かべたアルバロとは対称的に、声をかけてきたルルは闇夜でもわかるほどに白く固い顔をしていた。
 「なにを、していたの…?」
 「それはこっちの台詞だよ、ゴシュジンサマ?……お前だって危うい立場にいる、と言ったはずだ」
 仮面を剥ぎ捨て、深々と嘆息する。ギルドの関係者を『ペット』にした以上、いつ『主人』に目が向くともわからない。その説明は一度してやったのに。二度三度と説明しないとわからない馬鹿なのか。

 「でも、逃げられないんでしょう?……だったら、知っておこうと、思ったの」

 文字通り見えない刻印が刻まれた手を抱えるようにして胸の前で握りしめた彼女は、毅然と顔をあげて、はっきり告げた。
 「…へぇ、それで?」
 すっと目を細めて見遣れば、ルルは気圧されたように黙り込む。
 もしかしなくても、先程感じた殺意なき気配はこの愚かな主人なのだろう。かけるべき言葉が見つからないのか言うべき言葉は何も無いのか、ルルは口を開かない。

 「仕方ないな…先にお前を送っていってやるから、さっさと安全地帯で眠ってろ」
 ほら、と手を差し出すと、少し躊躇した小さな手がのびてきて、重なる直前でびくりと跳ねた。
 「…?」
 なんだ、と問い掛けようとして思い出す。

 「ああ…」

 返り血を浴びた手袋はぱっと見だとただの黒い手袋だけれど、血で真っ赤に染まっているのだった。
 まあ別に子供でもないのだから手を引いてやる必要も無いなと思い直し、アルバロが差し出した手を引くより、早く。

 「帰ろう」

 ルルは血だらけの手袋ごとアルバロの手を握った。
 一瞬目を見張り、けれど青白い顔が無理矢理に笑むのを見て、アルバロは口の端を吊り上げた。





差し出された手は真っ赤に染まっていた

(それでもそれが貴方の一部であるなら私は目を逸らすべきではないのでしょう)


........... title by 空青。