室に入る前に深呼吸をしたのは、無意識のうちだった。
柄にもなく緊張しているのか、と自らに問い、『柄にもなく』というその言葉こそが不似合いで、公瑾は常の様に口元を隠しながら小さく笑みを零す。もう一度息を吸い、吐く。そうして扉に向かって入室の許可を求めた。

「そろそろ頃合かと思って呼んだんだが、傷の具合はどうだ?」
室にいたのは、仲謀ただ一人だけだった。
孫家の主要な者達が連なって迎え入れられるのかと思っていた公瑾は僅か目を見開く。
子敬さえも姿を見せず、がらんとした広い室内には隠れた気配もない。真実、己と相手だけ、らしい。
それを意外に思いつつ、公瑾は頭を垂れた。
「お陰様で、日常に支障のない程度には回復しています」
「そうか。こっちもお前のお陰で無事に尚香を祝うことができた、礼を言っておく」
高圧的なその態度より、皮肉を込めたその言葉に、らしくないなと内心呟いた。公瑾の知る仲謀の姿と、当てはまらない。
「で、だ。お前にいくつか確認しておきたいことがある」
「はい」


「此度の全ての責を、負うつもりがあるか?」

「…なんのことか、わかりかねますが」
責を負うようなことなど何もない、とばかりにとぼけてみせる。仲謀は苦笑したように、そうかよ、と呟いた。


「それなら問いを変えようか。――お前の忠義は、どこにある」


「仲謀さまの」
「建前なんかいらねぇからな。本音を言うか、無言を通すか、どちらかをお前が選べ」
言葉を遮る声の強さに、公瑾は顔を上げる。
真っ直ぐに射抜くような強い視線が向けられていた。
その強さに彼の兄を思い出し、あぁ彼らは兄弟なのだなと改めて思った。彼ら兄弟はよく似た容姿をしていたけれども、まったく似つかぬ思考をしていたから、たまに忘れそうになる事実。
「……まぁ、問うまでもないな」
公瑾と伯符の強い絆を知る者は多い。
それを間近で見てきた仲謀なら、それを知らぬはずがなかった。

「なぁ、公瑾。俺はいつだって兄上のようになろうとしてきた。兄上がどうなさるか、兄上がどう考えるか、常に意識してきた」
いつか誰かに言った台詞をなぞるような口調で、仲謀が言葉を紡ぐ。
「えぇ、そうですね」
知らないはずがない、そのすべてを公瑾は見届けてきた。
「けどな、俺は兄上にはなれない。どれだけ近づこうと努力したところで、絶対に」
それが悩みの種であり、仲謀の負い目だということも、公瑾は重々承知している。
知られていることを知りながら、言葉を繰り返す意味は何だろうか、公瑾は自然眉を顰めるような顔になった。


「だから俺は、俺の道を拓く。兄上ではなく、俺ができることを考え、行動する。俺が最善と思う道を、選ぶ」

静かに、けれども強く、言葉は響く。

「だからお前も選べ、公瑾」


視線に貫かれ、瞬きさえ許されず。

「お前は、どの道を行く?」
公瑾が望んだ主の姿は、ない。

伯符の軌跡をなぞらえるように、伯符が辿るはずだった道に沿うように、そう歩むはずだった彼は。


「――私の、力は必要ですか?」
返した問いには、常の不敵な笑みが返ってきた。


「馬鹿が、いらねぇなら聞かねぇよ」


「ならば、――仰せのままに、わが君」
膝を折り、望まれた言葉を告げると、仲謀は満足そうに笑みを深めた。








選択する道



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