※蓮咲伝外伝小説『うつろなこころ』の続き捏造






釈迦如来という存在を表す言葉は、いくつもある。
例えば、絶対。
例えば、至高。
例えば、――無。

「まぁ、今の君にはどれも当てはまらないね」
観音はくつりとひとつ笑みを零す。その笑みは決して良い感情から出てきたものではない。
すっと伸ばした手は、眼前の扉に触れる直前で止まる。不可視の壁に沿わせた手に、ぐっと力が篭った。
「ほんっと、君はどうしてそう、…馬鹿なのかなぁ」
釈迦如来という三界すら超越した存在に、『馬鹿』と罵る言葉をかけるのはおそらく己以外にいないだろう。玉帝すら、特別な感情があるわけではないにしても、如来を罵ることはしないと思う。
けれど、観音は常々思っている。いくつもある彼を表す言葉の中に、馬鹿、もしくは愚か者、という単語を付け足しても絶対に間違いじゃない。
彼は全だ。故にどの言葉も当てはまるし、どの言葉も正確ではない。

そのはずだったのに。

「ほんっと、馬鹿。馬鹿すぎる。だいたい、なんであの女なの。趣味が悪いったらないよ。僕には理解できない。さすが如来だよね」
言葉を吐き出す度、壁に沿わせた手に力が入るのを自覚する。同時に己の力がざわざわと自身の周りの空気を震わすのも。術として確立された力ではなく、ただ感情の波に反応して漏れでた垂れ流しの力だ。それでも、不可視の壁はぴくりともしない。
「…君にしては用意周到すぎて、吐き気がするよ」
この壁は扉の向こうにいる、この居城の主が築いたものだ。 それは彼に感情という要らぬモノが根付いてしまっているという証拠のようで、観音は眉根を寄せた。

如来が金蝉に情を移しているというのは、昔から知っていた。どうやらそれが玄奘であっても変わらぬらしいということも、知っていた。
如来が感情というものの欠片を見せ始めたのは、間違いなくあの女のせいだ。それがあの女の性質なのかは知らないが、迷惑この上ない話だと思う。『釈迦如来』という存在の意義も意味も根源も全て揺るがす一大事といっても過言ではない。

「それにしたって…これは、やりすぎだろ」

五百年ほど昔、彼は彼女を見送った。当たり前だ、たとえ絆の深い師弟だろうと、あんな馬鹿女放り出すのが正解だし、何より如来の性質がそうで在らなければならなかった。
どうしてそれを、今回は引きとめ、隠すのか。
「これじゃあ、まるで…」
浮かんだ言葉に、眉間の皺を深める。その続きは絶対に口にしたくなかった。代わりに、ほんっと馬鹿、と再度口にし、観音は常とは違う閉ざされた扉を背にした。







堕ちた君

(その行動はまるでどこかの愚かしい者どもにそっくりすぎて反吐が出る)
110509