それが正しいかではなく、それが当たり前になっていただけ。


「あー、この感覚…久しぶりだなー」
ピリピリと全身を覆う、突き刺さるような緊張感。
零れる笑みは、首に巻いた布が隠してくれる。
樹々の間を、極力音を立てぬようにして突っ走る。自らの前を行く背中を見て、オビは笑みを深くした。

鬼ごっこの最中だった。

鬼役はオビ。
追われる役は、前を行く人物。

オビの主たる、ゼンに害を成そうとして、側近二人とオビに追われる嵌めになった可哀相なウサギだ。
手口的にオビに近い立場――隠密を得意とする者らしいとのことで、このウサギを追う役目がオビに回ってきたのだ。
蛇の道は蛇、目には目を、歯には歯を、といったところか。
恐らく城の中ではミツヒデと木々が手を尽くして首謀者を探しているだろう。

獲物と一定距離を保ちながら、そんなとりとめもなく状況整理をしていたオビは、鬼ごっこが終わりに近づくことを知る。鬱蒼とした樹木の間から漏れる光の量が増えてきた。恐らくは城の敷地に戻ってきたのだろう。
うまくいったなーと笑みを浮かべ、腰に下げた得物を構える。

「さぁ、最後の仕上げだ」

投げた武器の気配を感じ取ったのか、後一歩と迫った武器から逃れるようにウサギは唐突に姿を消す。
後を追ってオビも樹から飛び降りた。
負けを悟ったのか覚悟を決めたのか自棄を起こしたか、ウサギはオビを待ち構えるようにして立っていた。
「あら、逃げるのはやめたのかい?」
声をかけるが、標的はすっぽりと全身を覆うコートから腕さえださずに立ち尽くしたまま動かない。
暗器の類かね…
そうアタリをつけ、タイミングを見計らう。飛び出そうと足に力を込め、


「あれ…?」


聞こえた声に思わず目を見張り、ウサギの向こうに目立つ髪色を見つけた。
「お嬢さ…っ」

後に悔いるとしたら、この時の己の迂闊な態度か。

白雪に気を取られた一瞬で、小賢しいウサギは標的をオビから白雪へと変えた。踵を返し、手に握った何かを振り上げ。

「させるかっ!」

急所を狙い、走りながらナイフを投げ付ける。
幸いなことにウサギは白雪の急所を狙ったわけではなかったらしく、彼が命途絶える直前に放たれた武器は白雪の服を裂くだけに留まった。
「…あー…生け捕り、が命令だったんだけどな…」
動かなくなったそれに近付き、無駄と知りつつ脈を見る。


「オビ…?」

「はい?」
顔を上げ、声の主を見やる。
見上げた先に、あった顔。

「……あー…」

思わず視線を逸らした。
そうか、この子は一般人だったな…
青いのを通り越して、紙のように白い顔にあった表情は、畏れ。
彼女の中で、「殺し」は非日常で恐ろしい、モノ。

オビにとってはただの「仕事」だとしても、それを理解できるとも思えない。それくらい、普通の娘なのだ。
「…まあ、なんですかね。俺はコレ片付けなきゃいけないから行くけど、お嬢さん、今はあんまり歩き回らないほうがいいよ」
手駒を失った首謀者が、何かしないとも限らない。ゼンと白雪の仲は城内では周知の事実だ。
「……」
白雪はオビの忠告を聞いているのかいないのか、茫然と立ち尽くしたまま動かない。視線は、既に動かなくなった刺客に向けられている。
いたたまれない、ってこういうときに使うんだったっけ?
白雪の視界を遮るようにして背を向けたオビは、刺客の体を抱え上げる。血は派手に吹き出してはいないようだ。勘は鈍っていないことに内心頷きつつ、地面を靴で掘り出して証拠隠滅。ウサギが放った武器については、後からでも構わないだろう。
オビは後ろからの視線はまるごと無視で、その場を後にした。


あのお嬢さんは、どう思っただろうか。

理解されずともいいと思った。
どう思われたところで、同じような場面になれば同じように他人の命を奪うだろう。
オビにとって、それが当たり前だった。
優先順位は、赤の他人の命よりも『彼女』の命が上。
そりゃあ、できれば隠し通したかったけど
知られないに越したことはない。
けれど、後悔はなかった。


ただ、明日から白雪の態度が変わるのだろうと思うと、苦虫をかみつぶしたような笑みが浮かぶだけ。







住む世界が違うってこと
(忘れてた、なぁ)