ふと、思い出すときがある。
柔い肉を、ぶつりと絶つ音。
温い血が、どろりと流れる感覚。
けれどもその時あの人がどんな顔をしていたのか、晴明には思い出せない。
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それは、いつだったか。
晴明様が珍しくうろたえていると、思ったことがあった。
それまで唯我独尊を体現したような人だと思っていたからそんな感情があるとは思っていなくて、微細な変化であったけれど鮮明に記憶している。
忘れるには鮮烈過ぎる闘いの日々が幕を下ろし、一度は旅立った主も戻り、またひとつ季節が移ろった。
それでも、彼の人の僅かな変化と焦りに似た色を宿した瞳を未だに覚えている。
「晴明様」
呼べばちらりと返る視線。
そして同時に、僅かに離れる体。
あの時も、思ったのだ。
「晴明様」
もう一度わたしが呼びかけると、秀麗な面にいぶかしげな表情が浮かぶ。
「なんだ、用があるならさっさと口にしろ」
わたしが詰めた距離をいとも簡単に壊したその人は、やはりどこか焦っているような気がした。小さく小さく、晴明様には気づかれぬように息をつく。どくりどくりと脈打つ自身の心を押さえつけるように手を組んで、わたしは口を開いた。
「さわっても、いいですか?」
ひとつ。
呼吸する間。
「そんなことを、一々、聞くな」
それはいつものように、呆れたようなため息と共に吐き出された、平時のままの声音に乗せられた言葉。
けれども、共に在った時間が長くなったわたしには、なんとなく『いつも』と違う気がした。
「でも、晴明様は、……触れられるのが、お嫌いでしょう?」
晴明様のいつもとかわらないような言動は、いつもどおりであろうと意識しているがゆえ、ではないのかと。
ひたりと据えた視線の先、主は真っ直ぐに視線を返している。
ひとつ、ふたつ。――みっつ。
「記憶、というのは…」
ささやくように。
はきだすように。
「案外厄介だと、思わぬか?」
ゆるり、静かに、言葉は落ちる。
「――忘れたいと願う記憶ほど、嫌に鮮明に記録している」
長いときを生きてもなお、鮮やかに残るものがあるのだと、晴明様は告げる。
それが何をさすのか、その口調と表情で、わたしにもすぐに知れた。
わたしが僅かに前に乗り出し、口を挟む前に。
「これは私の問題だ」
お前が悪いわけではない、と続いた声音は、少しだけこわばっているように思えた。
「お前が、気に病むことではない」
言葉を重ねてそういわれてしまえば、わたしはもう何もいえなかった。
わたしの言葉では、足りない。
そんな簡単なものではないのだ。
「――そんな顔をするな、お前のせいではないと言っているだろう」
苦虫を潰したような顔をして、晴明様がすっと手を伸ばす。わたしの頬に宛がわれた晴明様の手のひらが、温かいというには少し低い温度を伝えてきた。
「触れる、なら。特に問題はない。触れられるのに…慣れていないだけだ。お前以外傍に置いたものはおらんからな」
それは、恐らく本音。だけれど、一部でしかない。なんとなく、わたしはそう思ってしまった。
「晴明様」
「…なんだ」
「わたしは、だいじょうぶですよ」
「…」
「わたしには勾玉がありますし」
「そうだな」
「黄泉返りだってやりましたし」
「死んだわけではないがな」
「それはそうですけど。でも、……だから、だいじょうぶですよ」
「…そうか」
「はい」
自分でもまとまりも説得力もないと思うその言葉に、どれだけの効果があるかはわからないけれど。
それでも。
そうかと相槌を打った晴明様の言葉は、安堵したような息と共に呟かれた。
+++
記憶に鮮やかに残る、死の瞬間がある。
それが故に自分以外の温度が伝わることがひどく、おそろしいとおもう。
その温度は、いつか、己が手で消してしまうのではないかと。
脆いその存在は、柔いその肉は、いとも簡単に失ってしまえるものなのだと知っているから。
けれども。
それらを思い出す、そのわけは。
触れられる、ということ
(温度を分かつその行為は、ひどくおそろしく、けれども同時に焦がれ求めていたものだったのだ、と、知る)
101209
触れられるのが嫌なのではなくてただ照れていたのは間違いないのですが、
こんなん気持ちも在ったらいいじゃないと脚色してみました←
びっくりするほどまとまっていないのは仕様です、精進であります