「お前は、どうする」
問うことは、決めていた。
彼女が、選んだ時から。

「ん?どうするって?」

色褪せかけていた記憶にぴたりとはまる、当時のままの顔が不思議そうにこちらを見る。
この男が眠りにつき、目覚めるまでの間にも、世界は時を刻み続けていた。
そして色んなものが、彼を置いていった。
「記憶だ。お前が、今のあいつのように全てを忘れたいと願うのなら、全てをなかったことにしたいのなら、」
かつて彼女に選ばせた。彼女は選んだ。
彼を忘れることを。

そしてお前にも、その選択肢が、ある。


八雲は小さく笑って見せた。

「冗談キツイぞ、弓鶴。んなこと望むわけないって」

「…辛く、ないのか?」
この男を理解できたと思ったことは一度もないが、それでも、この問いに頷くわけがないことくらい、わかる。
「辛くない、とは言わない。…けどさ、忘れるとか、な、そっちのが何倍も辛い」
「あいつがお前の元に戻ることはないのに、か」
「ははっ、はっきり言うねぇ。わかってるよ、そんな期待してない」
記憶をなくした咲耶にはもう逢ったから、と告げるその横顔には、何の感情も読み取れない薄い笑みが浮かぶ。
弓鶴が施した術は、咲耶の中から八雲に関するすべての記憶を奪った。今の彼女にとって、八雲は赤の他人だ。
一度すれ違ったという彼は、それをよくわかっているのだろう。

「例え、あいつの中に俺がいなくても、俺の中にはあいつがいるんだ」

すべてだったんだよ、小さな声は微かに空気を震わせて、解ける。
それは過去だけではなく、これからも変わらないのだとでも言うように。
八雲が、真っ直ぐにこちらを見た。

「俺は、忘れたくない。お前が俺を思ってくれるのは、うれしいけどさ。俺の記憶は…奪わないでほしい」


答えより先に、ため息が零れた。
「自惚れるな、お前のことなどどうでもいい。僕は後始末をしたかっただけだ」
もっともそれは余計なお世話のようだったが、と付け足すと、手間が省けてよかったじゃないかと笑い声が返る。
それをつと目を細めながら眺めて、もう一度息を吐く。
「愚かだな」
ん?と振り返った八雲に、なんでもないと返す。
不思議そうに首を捻った彼は、けれどもそれ以上の追及はしなかった。

この男は愚かだと思う。
楽な道が指し示されているというのに、それを選ばないのは、賢いとは言えない。

けれども。


少しだけ、まぶしいと思った。







君がくれた愛のカケラを抱いて、

(お前はとてもとても愚かだけれども、悲しいほどのその一途さを人はうつくしいと言うのだろう)
120808