ふと、意識が上る感覚を覚えた。
頭で行ったり来たりする温かな熱を感じて、まどろみから抜け出す気になる。目を開ければ、見慣れた天井が闇の中に見えた。

あ、れ……?

見慣れてはいても、それが自室の天井ではないことに気づく。
反射的に周囲を確かめようと身動きをして、ようやく隣に人がいたことを知る。同時に頭を撫でてくれていたらしい手の熱は消えてしまったけれど、あぁ、と静かな声が降ってきた。
「目覚めたんだね、咲耶」
優しい声に引かれるようにして顔をあげると、声の主は少しだけ眉尻を下げて泣きそうに見える顔で微笑んでいた。
「おはよう」
辺りはすでに暗闇に包まれていて、光源は白く輝く月の明かりだけだ。それでも彼の意図に沿うように、私は笑みを浮かべる。
「おはようございます、ミコトさん」

記憶を遡れば、朝の少し冷たい空気と薄い雲がたなびく冬の青空が浮かぶ。
けれどもミコトさんの顔を見ていれば、それが”今日”でも”昨日”でもないだろうと察せられた。
どれだけ経ったのかは、聞かなかった。

…あぁ、また……

目覚めたばかりだというのに、わずかに眠気を感じる。
私は抗うように口を開いた。
「ミコトさん」
「…ん? なんだい?」
起き上がることは、難しかった。
すでに眠る前独特の体の重さを感じている。
目覚めるまでの期間が長くなる一方で、起きていられる時間はまちまちだった。
今回私に与えられた時間はわずかなようだ。
「ゆめを、ね…見たんです」
せめてと片手を持ち上げる。私の意図を察したらしいミコトさんはすぐにその手を握ってくれた。
ほっと息をついて、言葉を続ける。

「ミコトさんみたいで、ミコトさんじゃない、神様の夢」

「私のようで、私では、ない…?」
はい、と応えた私の声は少しかすれていたかもしれない。
意識が白くぼやけていくような気がした。

まだ、眠りたくない、のに…

「ミコトさんとね、同じ顔なんですけど……笑わない、神様でした。人の願いを受けて……叶う、叶わないって…裁判の判決下すひと、みたいにね、応えるんです」
夢に見た神様の瞳を思い出す。黒くてなんだか無機質な感じがしたのを、よく覚えてる。
「叶うといわれて、喜ぶ人にも…取り合わない。叶わないといわれて…泣き崩れたり恨み言を叫ぶひとにも…表情を一切変えてなかった……」
人の願いを叶えられなかったと、悲しそうに笑うミコトさんとは大違いだった。だから別の人なんだろうと思った。
人の心に寄り添うミコトさんを、思い描いて。
「ミコトさんは…人間と変わらない感情があるから、いいなって……」
あんな神様じゃなくてよかった。
無慈悲でなくてよかった。
心ある神様でよかった。
「ミコトさんのこと、好きだなぁ、って……」
改めて、そう思えたから。

やっぱり”今”を選んでよかった




「感情の無い、神様か……」
月明かりに照らされた咲耶の頬をひとつ、撫でる。
規則正しいリズムで微かな寝息を立てるその様は、本当に、普通の少女なのに。
「私も、感情など……心など、持たぬほうがよかったなぁ」
或いは、己の願い叶っていれば、こんなことは想わなかったかもしれない。
だけれどその願いは、目の前の少女が、砕いた。
「なんて、そんなこと言ったら、君は怒るかな…」

心が在って良かったと言った君には悪いけれど、思わずにはいられないんだよ

君を、恋しく想わねばよかった
あの時君に、未来を見せねばよかった
幼き日の君に、出会わなければよかった

そうすれば、君は、今――

「…私は、悔いてばかりだな」
千年の昔のことでも、悔いていた。
今に至るまで、悔いてばかりだった。
それでも彼女は、私を否定しなかった。
眠っている咲耶の顔に、記憶の中の少し困ったような笑みが重なる。

「どうして神にまで、心など在るのだろうね」

呟きは、誰に聞かれることなく静寂の闇へと溶け出した。








そのわけは神さえ知らず


120108