言われてみれば、なるほど確かに両親は少し老けたかもしれない。
けれど。
言われてみても、十年の歳月を実感するには少し難しかった。


目覚めたときは、白い天井と独特のにおいのようなものを感じた。
病院だった。
どうして、と起き抜けのあまり働いていない頭で思った。
そして思い出す。

あぁ、そうだ
周りに…あいつに、余計な心配をかけたくないから

眠りについたら、病院に移してくれと、両親に頼んでいたのだった。
八雲にとっては、寝ぼけている感覚はあれど、その出来事は【昨日】だった。けれども実際には十年余りの時間がすぎているのだという。
そうと言葉にされたところで、すんなりと理解できるわけもない。まして目覚めた場所は見知らぬに等しい場所だ。

けれども退院の手続きを終えて、御神楽山の実家に戻れば事情はまた変わった。
記憶にある風景と変わらぬままの景色に迎えられて、ほっとしたのもつかの間だった。

まずはと向かった先は、国星神社だった。
八雲が長の眠りについたのは、星祭りの夜だった。そのほうが都合がいいからと弓鶴に言われたから。
だからかなんとなく、終わったことを、戻ったことをこの土地の神に報告しようと思ったのだ。八雲の記憶に相違がなければ、つい【昨日】まで言葉を交わしていた神様は、すでに天へと帰り、別の神様がいるとおもうけれども。
ついでに鳴海にも会えるか、と思ったことも事実。
段数の多い歩きなれた階段を上りきり、境内へと足を踏み入れる。同時に横を通り過ぎた風は、もう春の暖かさを含んでいた。
「あれ…?」
不意に聞こえた声に顔をあげる。

一瞬、誰だかわからなかったのは、見慣れぬ装束を身に纏っていたせいだけだっただろうか。

「八雲兄さん!」

はじけるように、声があがる。同時に駆け出したその女性に、八雲は目を見開いた。
「さく、や…?」
疑問の形になったのは、顔つきが記憶にあるよりもだいぶ大人びていたから。
記憶にはない、きっちりと化粧を施しているらしい顔つきは、以前よりも少し丸みがなくなっている気がした。
「久しぶりだね、元気にしてた? しばらく音沙汰なかったから、ちょっと心配だったんだよ?」
まぁ八雲兄さんなんだし元気だろうとは思ってたけど、と朗らかに笑うその顔にも、記憶の中の咲耶とは重ならず微妙にズレが生じたような感覚を覚えてしまう。
「あ、待ってて、今鳴海呼ぶよ」
またひとつ笑顔を残して、奥へと去っていく。どうやら鳴海は本殿にいるらしい。
ぼんやりとした頭でそれだけを理解する。
そうして立ち止まってしまっていたことに気づく。驚きが過ぎて、固まっていたのだ自覚して、苦笑した。

十年、経ってたな

そのことを、ようやく理解した。足を進めて、本殿に近い場所で咲耶を待つ。
そうして咲耶が巫女装束を身に着けていたことを思い返し、ふと思い当たる。彼女は、ここで働いている、ということだろう。
一瞬、閃くものがあった。
あぁ、それなら。

「……ほんとだ、八雲だ」
奥から現れた和装の青年が、淡々とした声をあげた。
八雲は、少し目を細める。
彼もまた、記憶より少し大人びているように感じる。
「おう、鳴海、久しぶりだな」
「うん、久しぶり。……元気そうで安心した」
「あったりまえだろー!俺が元気じゃないなんてありえないだろ!」
いつもそうしていたように軽快に笑ってみせる。そうすれば、咲耶もそうだよね、とまた笑顔を見せた。

    この笑顔を、守りたかったんだ

記憶とはずれてしまっていても、咲耶の笑顔はやはり八雲にとって欠けては成らないものだった。

    ヒーローで在りたかった
    憧れてもらえるに値するだけの人間でいたかった

連絡が無い間何をしていたのか、とか、他の人とは連絡していたの、とか。
主に咲耶からの詮索に適当に辻褄が合いそうなことを答えてやり過ごす。

    だから、立ち向かおうと思った
    成功確立がどれだけ低かろうとも、逃げるわけにはいかなかった
    咲耶と真正面から向き合う為には
    咲耶なら、立ち向かうと思ったから

核心には触れないようにしながら、世間話をしていると、不意に雷のように泣き叫ぶ声が響き渡った。
「おかあああああああああさあああああん!!!!」
「うお!?」
思わずびくりとしてしまった。
同じようにびくりと肩を揺らした幼馴染たちは、そうして顔を見合わせた。思い当たることがあるような、顔をしている。
咲耶が向き直って、少し困ったように笑みを見せた。
「ごめん、八雲兄さん、うるさくて。ちょっと見てくるから」
「? おう」
返事をしたものの、よく理解できないでいると、鳴海が小さく笑って見せた。
「八雲にも、幸せのおすそ分けしてあげる。たぶん、すぐこっちに来るから」
「ん?」

「さっきの、息子のほう」

一瞬、何を言っているか理解できずに反応が遅れた。
けれどすぐに、笑みを浮かべることができたこのときの自分は、少し自分で褒めてやりたい。

「へぇ、子どもまでいたのか」
「ん。上の子が女の子、下の子が男の子。…どっちも咲耶に似たみたいで、ちょっと元気すぎるくらい」
そうか、と目を細めてうなずく。やはり、という気持ちがあった。八雲の記憶の最後では、彼らは何か問題を抱えていたような雰囲気であったけれど、見事乗り越えたということだろう。
よかったと、素直に思えた。
「可愛いか?」
問えば、鳴海はきょとんとした表情で一度ぱちりと瞬いて、笑みを浮かべる。
「……うん、すごく」
「ははっ!親馬鹿ってやつか!」
「…だって、ほんとに可愛いから。見たら、八雲も絶対認めると思う」
すこしむっとしたような声音でそんなことを言う幼馴染の耳は、微かに赤くなっていた。どうやら親馬鹿と言われる心当たりがあるようだ。
そうかそうかとひとしきり笑って、あぁ、と思う。

「なぁ、お前、幸せか?」

問いには。意外そうな顔を返された。
答えが返る前に、畳み掛けるように声を重ねる。

「咲耶を、幸せにできてるか?」

ふっと、笑みを浮かべた彼は、やはり記憶より随分と大人びていた。


「幸せだよ、俺たち」







戦いの果て

(―――あぁ、俺、戻ってこれて、ほんとよかった)
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