一通りの報告を終えて、帰還命令を受けても、すぐには戻る気にはなれなかった。
無言で突っ立っている円を見て、教壇に立った鷹斗が不思議そうに首を傾げる。
「まだ何かあった?」
「…いいえ、先ほど報告したことで全てです」
「そう?」
否やと応える割に、やはり足は動かない。
円が漠然と言葉にならないモノを持て余していると、不意に小さな笑い声があがった。自分が笑っているわけではない以上、あとは一人しかいないわけだが。
「…何が可笑しいんですか」
「うん、特別何があるわけじゃないんだけど…」
言葉を濁しながら、くすくすと笑い声。
盛大に眉を顰めて見せれば、鷹斗はつと目を細めて”先生”の顔をする。

「英円くん」

「……だから、何なんですか」
「呼んでみただけだよ」
若干苛つくような、爽やかな笑顔を返された。円はその苛立ちを紛らわすようにため息を吐き出し、ふと思い当たる。
「言っておきますけど、ぼくはその子とは全くの別人ですからね?」
円がそう言うと、鷹斗はあぁわかったんだねと笑みを深めた。
”神賀先生”である彼が特別課題と称して集めている子供たちに、英円という人物もいることは知っていた。けれど円にはこの時間軸の”円”に会うつもりはこれっぽっちもないし、関わる気もない。ただの他人だ。座標として在ってくれれば、それで問題ない。
「わかってるよ、別だっていうのは。俺だって、此処の”海棠鷹斗”と自分が同じだなんて思わないから」
そう言って、にっこりと鷹斗は笑ってみせた。

いつも、このひとは笑っている。

時々、と吐息とともに言葉を吐き出す。
「あなたの神経を疑いたくなるときがあります」
本当は時々ではなくて、いつも、まともじゃないなと思っているけれど。そして何より、こわいと思う。得体の知れない、こわさが彼にはあるから。
「時々? 俺は常々、自分が普通じゃないなって思ってるけどね」
「それ、笑いながら言うことですかね」
「昔から思ってることだから。…それこそ、”今”くらいでももう思ってたんじゃないかな?」
遠くを見るように目を細めて、やはり笑いを含んだ声でそう呟く。ただ、その両眼に宿る色は、どこか暗いものが混じっているようにも思えた。
「…ま、いいですけど。それにしても、よかったんですか?」
「うん?」
「その、海棠鷹斗くんですよ。あの子は予定外だったんでしょ?」
あぁ、と納得するような声を上げて、ふふっとまた笑う。いいんだよ、と言ったその人は口の端をあげて笑みの形をした表情をしていたのに、円の背筋にはぞくりと悪寒が走った。


「…もっと楽しめばいいんじゃないかな。今だけ、なんだから」


高く高く持ち上げたものこそ、落としたときの損傷は激しいから。だからいいんだよ。
そう付け加えられた言葉はどこか遠く。
そうですか、と自分が吐き出したはずの言葉はかすれて聞こえた。







みの

(彼は全てを、世界を、憎んでいるのだと思っていたけれど、もしかすると彼は何より、)


110322